History of Dave Sweet

dave sweetDave Sweetはサーフショップを経営していた時に、サーフボードを木製の時代からポリウレタンフォームの時代へと扉を開けた。

Dave Sweetのサーフショップは、サンタモニカの14th通りとオリンピック通りの交差する場所にあった。 それは昨日のことのような出来事だった。時は1956年、5月5日。 多くのマリブの一流のサーファーは、ビーチの近くでバルサボードを作っていた。 その日、彼らサーファーの中のひとりであるSweetは、マーブルアブストラクトの「ミステリーボード」を持って現れた。そのサーフボードは今までのサーフボードよりかなり軽くて、取り回しのしやすいものだった。

見ているみんなが、Sweetのその「ミステリーボード」でのパフォマンスに驚かされた。 同業者であるボードビルダー達は、そのサーフボードに関して聞きたいことが山ほどあった。しかしDaveは、サーフし終えると、海から上がり、すぐに彼らの前から姿を消してしまった。Sweetはショップに戻って、1954年以来2年間研究し続けてきたプロジェクトに取りかからなければならなかった。

Sweetは約1週間、新発明をテストした。そしてこれは日々、前進していった。

ついにDave Sweetは、世界最初のポリウレタンフォームのサーフボードを持ってマリブに現れた。そして、そのサーフボードをビーチで売ったのだった...

その時点からSurfingは、ウッドの時代からフォームの時代へと移行した。Dave Sweetはご存知のように、世界で最初にポリウレタンフォームのサーフボードを使ってサーフィンしたサーファーである。 Sweetは、サーフボードのフォームブランクスを世界で最初に製造した人物である。そのブランクスは高密度を失うこと無く、カスタムオーダーに正確にシェープできるものだった。 これは後に現れた他のフォームメーカーにはマネのできない生産方法たっだ。 それゆえDave Sweetは、” The father of Foam "と言われる所以なのである。

history of Dave Sweet以下の話はDenny Waller(Dave Sweetのショップマネージャー)の小さなメモをもとにMark Fragale(サーフボードコレクター/歴史家)がまとめたものである。

50年前にはすべてのサーフボードが木から作られていた。 Dave Sweetはその頃のことを今でもよく覚えているという。 彼はサーフボードを作るより良い方法が、他にもあることをわかっていた。 Dave Sweetは情熱的なサーファーだった。 彼のサーフィンへのきっかけは、1945年にさかのぼる。その年は気怠いカリフォルニアのビーチタウンに、何日も穏やかな夏の日が続いた。ある日彼は借り物のPacific Systems Homesというブランドのサーフボードを使って、初めてテイクオフしサーフすることが出来た。場所はトパンガビーチであった。

木製のサーフボードは彼が想像していた以上に重かった!それにもかかわらず彼にとって、波に乗るということは忘れ難いものになった。

その出来事は、この後の彼の人生をサーフィンの世界に巻き込むであろう予期せぬ前兆であるとは、彼はまだ知る由もなかった。しかもその彼のライディングはまだ終わっていない、、、波はまだまだ果てしなくブレイク続けているのである。

David Milton Sweetは、1928年12月21日にシアトル(ワシントン)で産声を上げた。彼が6才になった時、彼の両親、弟のRogerそして兄のDickと共に、一家でカリフォルニアに引っ越すことになる。

引っ越しは突然だった。 彼の父はPacific Northwest保険の代理店を順調に経営していた。真冬になると度々サザンカリフォルニアに出張に出ていた。そして彼はカリフォルニアに到着すると、いつもパームツリーや海を見に行き、そして燦々と降り注ぐ太陽を体感した。彼はカリフォルニアのすべてに圧倒されてしまったのだ。Dave Sweetはその時のことをこう語る。「私の父は、出張から帰ってくるや否や家族の前でこう言ったのです。"この街を出よう!" と。」あまりに唐突で無謀なことであったが、家族全員で荷造りを始め、即座に夢のカリフォルニアに引っ越すとなったのである。

一家はロサンゼルスのGriffith Park地区にある家を購入した。Dave SweetはJohn Marshall高校を卒業するまでこの家から学校に通った。

高校時代のDave Sweetは、体操チームのメンバーだった。もっとも、夏の間は別だが。早くから一家は、Rodeo Groundsと呼ばれるTopanga Canyon(蒼くて素晴らしく綺麗な太平洋から数100ヤード)の海寄りの避暑地に別荘を構えた。Dave Sweetが、ビーチの近くで暮らすことの喜びとサーフィンというスポーツを発見したのが、まさにこの場所だった。そして彼は生涯の友たちとバンドを組んだ。

Dave Sweetは、ひと通りの中古のサーフボードでサーフィンを楽しんだ。彼の最初のニューボードは、今日まで忘れることなく記憶に残っている。Simmonsシェープの120ポンドのレッドウッド製。もちろんカスタムメイドだ。Daveは、サーフボードをオーダーした時のことを鮮明に覚えている。彼の両親がPasadenaにあるBob Simmonsの自宅までクルマで乗り付け、サーフボードをカスタムオーダーしてくれたのだった。その時からSimmonsとの本格的な交友関係がはじまった。

history of Dave SweetふたりはしばしばVenturaのOverheadやRinconにサーフトリップした。またある時は波を探して海岸線を船でクルーズしたこともあった。こうしてSimmonsとの友好関係と彼のシェープしたサーフボードは、のちのDave Sweetに大きな影響を与えた。

サーフィンを始めてほどなくしてから、Dave Sweetはサーフィンの技を競うい合う友達を見つけ、そして次第に派閥を作るようになった。そこにはRicky Griggがいた。そしてLes Williams、Corny & Peter Cole、Buzzy Trent、Bob McCoy、Gregg D'Nelly、Don Drazan、Howard Terrill、そして大親友のFreddy Harrisonもいた。

彼らのサーフィンはめきめきと上達し、やがて優秀なサーフチームとなっていった。サーフィンが上達した彼らは、慣れ親しんだTopangaを去り、よりシュールな波を求めてMalibuへと向かった。その頃Joe Quigg、Matt Kivlin、そしてDave Rochienは、すでにMalibuでは知られたサーファーだった。

「彼らに、ぼくらは徐々に受け入れられるようになったんだ。そしてピークのラインナップに近づいて行ったよ、ゆっくりとゆっくりとね。そんなふうにしてMalibuは僕らが寄り集まるための、そしてサーフするための一番のお気に入りの場所になったのさ。」とDave Sweetは回顧する。

1949年の夏休みに、Dave Sweetはバルサを使ったサーフボード作りを始めた。 数年間でDave Sweetは、約50本のサーフボードをMalibuビーチで作った。 Quigg、Kivilin、Rochlen、そして他のサーファーも、Dave SweetがMalibuでサーフボード作りを始める前に、すでにそうしていた。

1950年代初期、Malibuで作られていたこれらのフルハンドシェープで、浮力があって、軽量なバルサボードは "MALIBU CHIPS" として知られるようになった。 「サーフボード作りはとても楽しかったよ。サーフボードのシェーピングでの微妙な誤差は、素材の軽量化によって、ボード作りによりいっそう影響を与えるということは明白になった。」とDave Sweetは話す。

Dave Sweetと彼の仲間達が1950年代前半に作ったサーフボードは、周りのボードービルダーにとって、大きな影響を与えた。 この時代にDave Sweetは、彼の人生そのものがサーフボードビルダーと呼べるものなのだと認識できた。 しかしサーフボードビジネスは当時、まっとうな商売としてまだ認知されていなかった。 生活のためにサーフボードビルダーになるという決意を抱いたDave Sweetは、最も初期の商業サーフボードビルダーの中のひとりだった。 結局サーフボード作りが産業になったことでDave Sweetの存在は、来たるべき数十年間のサーフボード作りに関する重要な役割を果した。

サーフボード作りの歴史的な扉が、まさに開かれようとしていた。しかしそのことがそれほどまでに重要なことなどとは、だれも当時知る由もなかった(恐らく、Dave Sweet自身も)。 サーフボードに用いられる材料とサーフボードビルダーの思考の変化は、日進月歩進歩していった。 新たにサーフボード製造方法と、まさしくサーフィンというスポーツそのものは、まさに始まろうとしていた。

Dave Sweetによって到来を告げられたこの変化は、フォームの核心とともに次世代のサーフボードにずっと引き継がれることとなった。 たわいのないいつものある日にいつものビーチで、Dave Sweetは友人からポリウレタンフォームの固まりを見せられた。 Dave Sweetは、そのポリウレタンフォームの第一印象に、強い衝撃を受けた。 そしてDave Sweetはポリウレタンフォームという材料に取りつかれたようになり、サーフボード作りにこの新素材をどのように使っていくかという点に焦点を合わせ始めたと、何人かの友人は語る。